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肉体を求める少女と少年。もがきながら生きる姿を描く「うみべの女の子」

ブルネイ

アフターファイブに読んで欲しい漫画。今回は恋を知らずにセックスした少女と少年の物語、作・浅野いにお「うみべの女の子」を紹介します。

うみべの女の子 浅野いにお

恋とも呼べない、未完成な心「うみべの女の子」

本作は、佐藤小梅と磯部恵介の2人がメインのお話です。2人は互いの心を埋め合うためにセックスしますが、一向に満たされないまま時間だけが過ぎていきます。好きという感情だけが抜けた行為だけが続いていき、徐々にお互いの心が見えなくなっていくのです。

恋というのは、一般的には“好き”という感情から始まるのではないでしょうか。

「好きだから一緒にいる」「好きだから付き合う」

しかし『うみべの女の子』には、それが存在しません。

主人公の佐藤小梅と同級生・磯辺恵介は、まだ未成熟な中学2年生。
本来なら初々しい年齢のはずですが、この2人は早熟で、そして未熟な子どもでした。

憧れの三崎先輩にオーラルセックスを求められたことにショックを受けた小梅は、1年生の時に告白をしてきた磯辺にセックスを求め、心の隙間を埋めようとします。

そして、まだまだ小梅に対して「好き」という感情を持っていた磯辺は、小梅からの求めを受け入れます。しかし、まだ三崎先輩への未練があった小梅は、磯辺からのキスを拒みます。

小梅は、三崎先輩への幻想が捨てきれず、「付き合ってほしい」と三崎先輩にお願いをします。しかし、彼からは「オーラルセックスをしてくれたら少しは好きになる」と言われ、再び傷つき、その傷もまた、磯辺とのセックスで癒すのです。

進級し中学3年生になっても肉体関係は続きます。まるで渇望するかのようにエスカレートしていくのに心は空っぽのままでした。

年端もいかない少女と少年が、好きになるよりも先にセックスをする。
その順序を飛ばした、世間的に言うならば“不純な関係”が、ストーリーのエッセンスとなっています。

紙の中の世界は読者のいる現実世界

「大人の行為に手を出しても、日常は何も変わらない」。

その現実は、常に何かを期待してしまう思春期の中学生にとって残酷な世界でしかありませんでした。

読者側と、何ら変わりの無い日常が広がるその世界。そのリアリテイーが、登場人物の心へと繋がっていきます。

安易にセックスに手を出した小梅、そして求められたから応じた磯辺。
流されるように起こした行為は、2人の距離を縮めるものではありませんでした。

欲情と感情がきれいにそろわない不完全さは、現実世界の男女と同じです。
フィクションとは思えないほど身近に感じられるストーリーとキャラクターに、シンパシーを感じられます。

セックスのみでしか、満たされる方法を知らない子ども

うみべの女の子 女子高生

※写真はイメージです

本作の表紙(最下部参照)は、寒色系の色が混じり合った繊細な色合いとなっています。しかし対象的に、中身は濃厚なセックスシーンのオンパレードです。

好奇心旺盛な中学生では片づけられない絡み合いは、とても人前で読めるものではないほど過激です。
上記のオーラルセックスは序の口で、自慰鑑賞、ア○ルセックスと欲求のままに、行為はさらにエスカレートしていきます。

そこには快楽もあるかもしれませんが、埋まらない心をセックスで満たそうとする危うい心が常にともないます。そして、小梅自身も、その“おかしさ”に気付いていて、こんな言葉をこぼします。

「してもしても何か足りない気がするのは なんでだと思う?」

 (「うみべの女の子」 第2巻 第14話p74.より)

愛し方も愛され方も知らない小梅と磯辺の不器用さ。それは、経験不足な子どもそのものです。
分からないなりに理解しようとし、もがきながら相手に近づこうとする姿は「青春」といえるのかもしれません。

うみべの女の子 浅野いにお
「うみべの女の子」

(文・ブルネイ)

ライタープロフィール

AFTR5編集部
女の子座りができないブルネイです。
地べたに座るのが苦手、掘りごたつ派。