お前、スーパーマンかよ―スナックノンノン第1夜
最近、人から相談を受けることが多くなりました。
「話を聞くのは良いよ。でも相談するのなら、もっと生きるのが上手な人が良いんじゃないかな?」
わたしは生きるのがそんなにうまくありません。小さいことを気にせずに颯爽とハイヒールで歩くようなスタイリッシュな生き方はできない。でも、聞くところによれば、その不格好さが「かえって安心する」と皆さんは言います。
不格好な自分を惜しげもなく見せ、それがどこかの誰かを救うのなら、それが他でもない“わたし”の仕事なのかもしれない。
だからここに「スナックノンノン」をオープンします。
不器用なママが自分の話を語る小さな空間。今回は、この春社会人になったばかりの新入社員の方に向けて、わたしの経験を語ります。同じような思いをしている人の心に、届きますように。
*
とあるメーカーに新卒で就職したわたしは、営業部に配属された。
1年目の仕事は面白くないものが多い。
「荷解き」「伝票記入」「音速で電話をとって先輩に繋ぐ」とかそんな感じ。
道理はわかるんだけど、やっぱり楽しいかと言われたら、そうではなかった。
「新入社員の仕事は元気に挨拶することだから、気楽にやれ」
そう言われるたびに、当時のわたしは何だかやるせない気持ちになった。
評価されていないように思ったんだと思う。恐らくは、優しさで言ってくれていた言葉だったはずなのに、かえって鼻息を荒くして、仕事をした。
でも結局、空回りばかりだった。
荷解きのときに商品を入れたまま、段ボールを捨ててしまう。
発送先を間違える、請求書を入れ忘れる。
伝票は何度書いてもミスしてしまって、二重線訂正印でぐちゃぐちゃになった。
ミスしたら、当たり前だけど、叱られた。
「どうしてこんな簡単なことができないんだ」と言われ「すみません」と言った。言いながら、わたしも上司と同じことを思った。
――どうしてこんなに簡単なことができないんだろう。
自分で言うのもなんだけど、わたしは今までだいたいのことはうまくできた。
能力は低いけれど、努力すればある程度のところまで行ける自負はあったし、勉強でも部活でも、ある程度の成果は残せた。思春期こそ友達はほとんどいなかったけれど、大学に入ってからは人に恵まれた。他の同期よりも良い学歴だって持っている。
だから、こんなことを考えた。
――どうしてこんなに簡単なことができないんだろう、他の誰でもないわたしなのに。
「すみません!頑張ります!」と言うことで自分を奮い立たせていたけれど、日に日にわかりやすく落ち込んでいった。
色んな思いが露骨に顔に出てしまうところも、社会人失格だったなと思う。でも、当時のわたしは、今以上に未熟で、自分のことで精いっぱいだった。
そんな中「飲みに行こうぜ」と誘ってくれた先輩がいた。
その人は入社したての頃から、わたしをかなり“買って”くれている人で、常々「お前は俺の若いときにそっくりだ」なんて言っていた。
飲み屋でビールを乾杯し、先輩は「最近どうだ?」と聞いてきた。
わたしは小さい声で「伝票をミスして怒られる」とか「今日も“新入社員一の問題児だと社内で噂になっている”と言われた」とこぼす。何だか告げ口みたいな言い方になってしまったなと思った。
先輩はこちらを見ずに、つまみをつつきながら「でも、それ、お前が悪いだろ」と言った。
ズンと視界が揺れる。間違いない、わたしが悪い。
何であんな簡単な作業すらできないんだろう。マニュアルを見れば誰だってできる仕事だ。「基本ができない奴は何をやってもダメだ」と言われていた。本当にそうだと思う。
でも、だとしたら、それすらできないわたしは一体何者なんだろう。
ただの“足手まとい”だ。どれだけのクズなんだろう。
全然違う人を自分だと言われている気分になり、現実を受け入れることができなかった。だからわたしは泣きながら、まくし立てるように言った。
「はい! 先輩のおっしゃるとおり、わたしが悪いです! 伝票や発送作業などの基本もままならないようではダメですし、明日から完全にノーミスで行けるようにチェックリストなどを作って対応します! 明日からはリニューアル佐々木でいきますので、よろしくお願いいたします!」
口をへの字に結んで、敬礼をするわたしを見て、先輩はこう言った。
「完璧にできるわけなんてないだろ。お前、スーパーマンかよ」
たらいが頭に落ちてきたみたいだった。ショックだった。「スーパーマンだなんて思ってないです!」と言い返したかった。でも、やっぱりわたしは、自分で自分を完全無欠だと思いたかったんだろう。完璧じゃないという事実よりも、そんな浅はかさのほうが悲しかった。
先輩は続ける。
「わかるよ。今まで地域なり、大学なりの狭いコミュニティの中で、お前は評価が高かったはずだし、それなりの結果も出してきたはずだ。認めたくないかもしれないけど、お前は自分が何でもできるとも思っていたはずだ。そうだろ? でもお前は、何度言っても伝票をミスるし、発送をミスるし、与えられた仕事をきちんとこなせていない。これをまず受け止めろ」
わたしは小さく「はい」と言って、唇を噛んだ。悔しかった。涙がこぼれそうで、上を向きたかったけど、溢れそうだったので思い切ってうつむいた。
涙はやっぱりこぼれてしまった。
そんなわたしを見て「モデル級の美人でもないんだから、笑っとけよブス。今日は飲むぞ」と先輩は言う。
小刻みに震えながら、わたしは「押忍」と言ってジョッキを掲げた。それがそのときの精一杯だった。うれしいとか、情けないとか、ありがとうございますとか、頑張りたいとか、悔しいとか……色んな感情がない混ぜになったわたしの精一杯だった。
2人して一気にジョッキを空けた後、先輩が何かを呟いた。
「期待してるぞ」と言った気がした。「え?」と聞き返すと、「何でもねぇよ、黙って飲めよ」と言った。
結局、あのとき先輩が何と言ったのかはわからないままだ。
そんな救いの夜の翌日も、その翌日も、何度言われても、わたしは伝票をミスし続け、その度にわたしは自分で自分に向けて「お前、スーパーマンかよ」と、心の中で唱えた。
そうするとほんの少しだけ、ティッシュ1枚分くらいは心が軽くなった。心が軽くなるうちに、段々とミスが減っていった。やがて、ほとんどミスをすることがなくなった。
結局その後は色々あって、大した業績も出さないうちに、入社して1年で会社を辞めてしまい、今に至る。
フリーになってつくづく思う。わたしは本当にできないことだらけで、ルーティーンワークができないし、人混みと雑談が苦手だし、計算ができないし、契約書には必ず記入漏れがあるし、一発でOKが出たためしがない。
直そうとは試みるけれど、自分を責めるのはやめた。
反省と自責は似ているようで全然違う。失敗したときにしていいのは、反省だけだなと思う。そんなことを思い出させてくれる魔法の呪文が「お前、スーパーマンかよ」なのだ。
だから、ふがいない自分に嫌気がさしたときは「お前、スーパーマンかよ」と心の中で唱えてほしい。そうしたら、ほんの少しだけ、苦しさから解放された仕事ができるかもしれないから。
*
自分を責めずに、苦しめずに、お仕事頑張れますように。
辛くなったら一緒に飲もう。
明日も元気で働けるよう、今日もビールで乾杯ね。
(文・佐々木ののか)