匂いでよみがえる懐かしさ|徒然花
ふと何かを匂いがきっかけで、忘れていた記憶がよみがえることがあります。先日、私は土の香りで、高校時代に友達が片思いしていた時のことを思い出しました。
よみがえった記憶
匂いから懐かしい記憶がよみがえったのは、高校時代の女友達Aと再会した時のことです。
彼女の犬の散歩に付き合うことになり、草木が多い公園に行きました。社会人になって以来、公園に行くことがめっきり減ってしまったため、土を間近で見る機会もすっかりなくなっていた私。犬が土を掘り出したので、私はしゃがんでそれを眺めていたところ、むわっと土の匂いが私の鼻を襲ったのです。その瞬間にパッとよみがえる高校時代の思い出――
美術部だった私とAは、写生と偽ってよく外に出てサボっていました。理由は、当時のAは、野球部に好きな人がいたため。2人でスケッチブック片手に、野球部が練習するグラウンドに足しげく通っていたのです。
眺めているだけで十分と言ったAは本当にひたすら好きな人を眺め続けるだけで終わっていました。スケッチブックを持っているのに、彼の姿を描くこともなく、そこらに生える花を描く彼女。絵にすることも、告白することもなく、ひたすら自分の瞳に彼の姿を焼き付けるだけの彼女の姿は、私から見たら不思議で仕方がありませんでした。
高校を卒業するとAとは疎遠になり、その後、私は隣町に引っ越したため、彼女との日々は思い出へと変わり、その時のことはすっかりと、記憶の彼方に追いやられてしまっていました。
そんな思い出の日々が、彼女と久しぶりに再会し、土の匂いを嗅いだことで蘇ったのです。
記憶は全て過去のものになる
土の匂いで昔を思い出し浸っていた私に、Aは突然恥ずかしそうにモジモジしながら「結婚する」と告げました。相手は大学時代に出会った人だそうで、私は知らない人でした。
土の匂いのおかげ、かつて彼女が恋焦がれていた相手を思い出した私。だけど、彼女の口から出た言葉は、そんな“過去”の話ではなく、結婚という“未来”の話でした。野球部の彼について話をふってみるも、「そんなこともあったね」と笑われ、すぐにその話題は終わりました。
思い出にも、それぞれの濃さがあるのでしょう。私にとって印象的で濃い思い出だったそれは、彼女にとってはたくさんある思い出の中のひとつだったのです。
匂いは、昔の記憶をよみがえらせます。しかし、ただ思い出すきっかけになるだけで、また忘れてしまうことでしょう。
結婚を控える彼女にとって結婚は“未来”であり、後に“今”となるものです。当時は本当に好きでも、時間が経つとその感情でさえも“過去”となります。
思い出に変わった記憶は再び頭の中にアルバムにしまわれ、何かの匂いをかいだ拍子に取り出されるのかもしれませんし、忘れたままなのかもしれません。最終的に忘れてしまった記憶の価値というのは、思い出したとしても目の前にある時間にはかなわないものかもしれません。
(文・駿河慧)