私が「友チョコ」を好きな理由|徒然花
コラム・徒然花、前回に引き続き「義理・友・本命」の3つのチョコレートについて語っていきます。今回は、“友チョコ”についてです。
お菓子作りが好きなリョウコ
いつからか始まった友チョコ文化。この友チョコは主に女性同士で贈り合うことから、仕方なしで渡す“義理チョコ”とはまた違うバレンタインの形です。”義理チョコ”は嫌いな私ですが、“友チョコ”は好きだったりします。その理由は、ある思い出が関わっているからです。
小学生の時、私にはリョウコという友達がいました。彼女は料理やお菓子作りが大好きで、家庭科の調理実習の際にはいつも先生から褒められるほど器用でした。4年生の時から同じクラスであった彼女は、嬉しいことに毎年バレンタインにチョコやマドレーヌを作ってきてくれたのです。
食べる専門の私はそれがとても楽しみで、バレンタインが近づくとそわそわして「今年は何くれるの?」と聞いていました。しかしリョウコは「当日のお楽しみだから」と答えてはくれません。それが余計期待を膨らませ、私はその時期、毎晩ウキウキで布団に潜り込んでいたのです。
しかし、6年生の時に事件が起こります。私とリョウコが喧嘩したのです。
事の発端は私。何気ない一言で彼女を怒らせたことが原因で、仲直りしようと話しかけても無視されるようになってしまいました。初めての喧嘩であったことから途方に暮れ、時間だけが過ぎていく。無視される相手への謝り方。それをひたすら考えた私はひらめきます。
――お菓子で“ごめんなさい”を伝えればいいのでは?
“ごめんなさい”のこもったクッキー
本来ならバレンタインは「チョコ」を渡す日ですが、手作りチョコを作るのに必要な“湯煎”のやり方を知らなかった私は断念。そこで以前家庭科で習った「簡単にできるクッキー」を作ることにします。そしてさらに私は、アレンジを思いつきます。クッキー5枚を作り、その上にそれぞれ“ごめんなさい”の文字をチョコペンで書くというもの。これなら自分の気持ちが伝わると考えました。
初めて挑戦したクッキー作りの完成度は可もなく不可もなくの出来栄え……。試食した母は「初めてならこんなもんじゃない?」と言い、ますます不安にさせます。しかし、時間の関係でやり直しができず、そのまま渡すことになりました。
バレンタイン当日。下駄箱でリョウコの登校を待ちます。
彼女の姿が見え、一瞬だけ目が合い、そしてすぐに逸らされてしまう視線。私は、それに負けず、手さげカバンからクッキーの入った包みを渡します。
「ごめんなさい」
思った以上に声が出ず、蚊の鳴くような声の大きさで言いました。顔はうつむき、クッキーを差し出した手はそのまま。受け取られる気配がありません。
心臓が早鐘を打って、私の背中には冷たい汗が流れたような気がしました。
「ありがとう」
その言葉と共に私の手からクッキーが離れます。そのままリョウコは教室のほうへ歩き出しました。後日、彼女から「クッキー美味しかったよ」と言われ、それをきっかけに私たちは仲直りしました。
友チョコ=友情
リョウコと初めての喧嘩だったということもあり、仲直りのきっかけがつかめなかった私。
クッキーを使って友達に謝罪したこと。この経験から友チョコは何も感謝をこめるだけではないことを知りました。
バレンタインは気持ちを渡す日。普段は言いづらいことを言える絶好のイベントです。お菓子と一緒に自分の言葉を伝えられるこの日があったからこそ、私はリョウコと仲直りができました。友チョコは友情で人を結び付ける役割を担っているのかもしれません。
(文・駿河慧)