「本気」はピリッと辛い。人形町・山葵にて
約30年前から人形町にお店を構える老舗居酒屋「山葵」。友人に誘われ、女2人で訪問した。彼女曰く「アド街で人形町特集してて、観てたらアナタと行きたくなって」だそうで、名誉ある”ご指名”である。「いいね、行きたいね」なんてLINEでチンタラと返事を書いていると、まもなくして「予約した」との連絡が。
「刺身盛り合わせは前日までに予約しないといけないそうだからお願いしちゃったけど、いいよね?」
サスガ、すぐやる課。私は彼女のこういうところが大好きだ。
老舗の風格とあたたかさが同居する空間
人形町駅を降り、かの「今半」や、味のあるこじんまりとしたビストロなどを横目に、歩いて辿りついた先は、外観からして「街に根付いた居酒屋」そのものだった。暖簾をくぐり、細い階段を上がった先に店はある。
我々が通されたカウンター席は某「ビフォーアフター」な番組に出てきそうなくらい、細かった。少し背中を反れば、もう壁である。
目の前にある達筆な筆文字のメニュー表。定規とボールペンで書かれたであろう罫線が、なんとも味わい深い。定番料理一覧、本日のおすすめ料理一覧に加え、「時間のかかるもの」という料理一覧も、そこにあった。
人形町の下町らしさ、江戸っ子気質に触れた気がして心地よい。友人が真っ先に「これが絶対に食べたかったの」と指し示したのはポテトサラダだった。
ナイフとともに差し出されたそれは、言われなければポテトサラダとは気づけない佇まいだ。
外側のポテトはほわりと甘く、つぶされたジャガイモの中には、サツマイモとクコの実が混ざっていた。真ん中はタラモサラダかと思いきや、ゆで卵を裏ごしして明太子を混ぜ、さらにそこにトビコを和える、手のかかった逸品。甘みと旨み、野沢菜の塩気、そしてトビコが奏でる食感は、どこから食べても、うれしくなるおいしさ。
そして、前日予約したお刺身盛り合わせも圧巻だった。

前日までに要予約「刺身盛り合わせ」
ひとつひとつの刺身の甘み、それをワサビとミョウガが引き立てる。
そして友人がいたく気に入っていたのが、「時間がかかるもの」に入っていた“マグロスペアリブ塩麹漬焼”なる一品。
口に入れれば、マグロの脂と麹がタッグを組み、口の中で旨みの香りを広げていく。濃厚な味わいのあとを大根おろしで追いかけると、また格別だ。
おだやかな空間を引き締める「ワサビ」
これらのオーダーをとり、料理を厨房からお客さんへと運ぶのは、「下町の働き者」を絵に描いたようなオバチャンだった。
てきぱき、きびきび、そして早口。
お店のすべてを掌握し、板前さんたちと他の女性店員さんに指示出ししながら、自らブルドーザーのように動き回る。お店の雰囲気と美しい料理が醸し出す穏やかな空気を、まるでワサビのようにキュッと引き締めていた。長らく愛されるお店たる所以は、こうした「人」の魅力によるものなのだろうなあ。
思えば、隣にいる友人もまた「ワサビ気質」の女性だ。夏に仕事で知り合い、付き合いはまだ1年にも満たないのだが、初めて会ったときからとにかく仕事が早く無駄がないことが印象的だった。このお店の予約までの流れも然り、である。
そんな彼女に、仕事で私は叱られたことがある。悪気なく、無自覚に、彼女の気遣いにロクな礼もせず甘えていたことが原因だった。
毎日顔を合わせるクラスメイトでもなし、面倒くさい人間とは距離を置くのが大人の人付き合いだと思う。しかし、彼女は私に対し「あなたのここに腹が立った」と伝えてきたのである。
昔から注意されたり敵意を向けられたりすることが怖くて、「あたり障りのない間柄なら、矢を向けられることもなかろう」と、他人との密な付き合いを避けてきた私はひどく当惑した。
でもそのとき、戸惑いながらも彼女から逃げようとは思わず、むしろ素直に反省の念が湧いたのが不思議だった。その当時の付き合いは、わずか3ヶ月足らず。いま思えば、その当時から彼女の立ち居振る舞いに尊敬の念を抱いていたのだろう。
大人になるにつれ、皆それぞれに人付き合いに慣れて穏やかな人間関係を築けるようになるものだ。そんな居心地のよい空気の中で、相手にビンタを食らわせるのは、至極面倒くさいこと。頬だけでなく、頬を張った手もまた痛い。だから、目につくことがあれば、秘かに距離を置きながら、荒波立てずに流してしまいがちだ。
それなのに、彼女は「あなたにはきちんと言わなきゃと思って」と、一石投じたのである。戸惑い、驚くとともに、胸が熱くなる心地がした。彼女には嫌われたくない、これからも友人でいてほしい、だから変わらなきゃ…と初めて思った。
その想いを語ると、彼女もまた自身の振る舞いへの反省の言葉を口にし始めた。付き合いはまだ短くとも、心の距離がぐっと近づき、私にとって彼女がかけがえのない友人になったのは言うまでもない。
オバチャンから2杯目のお酒を受け取りながらそんなことを思い出し、隣にいるワサビ気質の友人が、他ならぬ「山葵」に行こうと誘ってくれたことに妙に納得してしまった。
ワサビの魅力に気づく
昔から辛い物が不得手で、出前のお寿司をいただくときは行儀悪く、刺身をめくってワサビがついたシャリをどかしていたほどだった。でも今じゃもう、サビ抜きのお寿司なんて物足りない。まろやかな寿司のうまみを引き立たせるのは、やっぱりワサビなのよ…なんて、わかったようなことを言ってみる。
人間関係もそうなのかもしれない。
笑いあえる間柄だけが、居心地のいい、良好な人間関係ではない。ときにピリッとしたコミュニケ―ションがとれることは、信頼の証。必要なときに耳の痛いことを言いあえるからこそ、普段思い切り笑いあえる。こんなことを思えるようになったということは、長らくサビ抜き仕様だった私の心も、少しは大人になったということだろうか。
その日は上司や仕事の愚痴だとか、SMAP解散が寂しいだとか、アラサー女同士で他愛もないことを話して、笑って、おいしいものをいただいて、人形町をあとにした。次は私が、ピリッと気の利いたお店に誘う番だ。
山葵(わさび)
住所:東京都中央区日本橋人形町2-11-4
https://wasabi0724.owst.jp/
(文・やまま)